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2008年10月16日 (木)

焚火の着火剤・重要な補足情報

便利度 :☆☆☆☆☆
工作度 :☆☆☆☆☆
推薦度 :☆☆☆☆☆
危険度 :★★★☆☆
(残念ながら、古くなった場合はこんな評価ですね)


以前の記事でロゴス製の着火剤について、下記のように絶賛しました。

『それは、“ロゴス”という量販店向きのキャンプ用品を作っているメーカーの固形着火剤なのですが、火力も十分で炎の持続時間も長く、半分に切って使用しても焚き火の着火には十分な能力を持っています。
また、水がかかっても消えない程の火力を持っていますので、少々の雨の中でも短時間で焚き火を熾すことができそうです。
これも自信をもってお薦めできる製品です。』


Fire
(㊧ロゴスの固形着火剤、㊨小袋入りジェル状着火剤)

確かに、この着火剤は素晴らしい能力を持っていることは確認済みですが・・・・・・。
しかし、この着火剤にも致命的な欠点があったのです。(もっと早く記事で公表すればよかったのですが、忘れていて遅くなってしまいました、スミマセン・・・)

それは、古くなると乾燥してスカスカのラムネ菓子のようになって、焚火の着火どころか着火剤自身にすら全く火が着かなくなってしまうのです。

Fire1
(このようにスカスカに乾燥してしまうと点火すらできない)

そういえば、この着火剤のパッケージはブリスターパックの上面にアルミ箔を貼った状態で密封されていましたが、これは固化させた燃焼成分の蒸発を防ぐためだったようです。
“メタ”や“エスビット”などの従来の固形燃料がむき出しで置いておいても着火能力の低下が少ないのに対し、このロゴスの着火剤は比較的急速に能力の低下が起こるということなのでしょう。

この状態のままでしたら着火能力も2~3年位は十分保たれるのでしょうが、山に持っていくとなると1パックづつ切り離して小物袋に入れザックに放り込むわけですが、ザックの中で揉まれているうちにパッケージのアルミ箔に穴が開き、そこから揮発成分が蒸発してしまうようです。
知らずに山に持っていったら、火が着かない着火剤だった、というのも洒落になりませんから・・・・私は今シーズン初めからこの製品の使用をやめ、以前使用していた小袋入りのジェル状着火剤を再び使用することにしています。

Fire2
(やはり定番はこのジェル状着火剤でしょう!)

自分で薦めておいて申し訳ありませんが、この着火剤をご使用の方は事前に実際に火が着くかテストする必要がありそうです。


〈 余談ですが・・・『焚き火・考』 〉

以前の記事の「余談」で、私が沢で焚き火をすることについての私なりの釈明を述べました。
また、僭越ですが、私たちが自然の中で遊ばせてもらうためには、私たちが知的動物であるなら他の全ての生物の目で・・・、また私たちが社会的動物であるなら、社会の中で他者の評価という目で・・・、自己を客体視し己の行為の及ぼす影響に対しての規範性が個々に求められるのではないかと言うような事を述べました。

“万事アバウト主義”の私が、何故こんな堅苦しい話をするのかというと・・・。
それは、近年アウトドア系のメディアに焚き火の楽しさが度々紹介されたり、最近では山の老舗雑誌『岳人(9月号)』に尾根上の幕営時に焚き火を使用する記録が写真入で堂々と(?)紹介されていたことについて、これは少々問題かな?、と考えさせられたものですから、敢えて『雑音』を発信させていただいた、というのがその理由です。(『G』誌では焚火に批判的な意見を“雑音”と切り捨てています)
しかも、自ら“焚き火好き”を公言し、ブログに焚き火の写真や着火剤について紹介している関係で、私にも発言する責任が生じてしまったと言うことですね。

一つだけハッキリしていることは、アウトドア系の雑誌で採りあげる“焚き火”は管理されたキャンプサイトでのそれがテーマになっており、上記の某山岳雑誌『G』に掲載された記録は、サバイバル登山の第一人者 氏が、その経験に基づき氏なりの判断基準で責任を持って管理した上での焚き火だと言うことです。
法的な部分はいざ知らず、私個人としては、この山岳雑誌の記事にある、個別の“行為”に関しては格段に大きな異議を挟むものではありません(当然小さな異議はあります・・・!)、しかしこれを影響の大きい媒体に載せるかどうかとなると話は別だと思います。
私としては影響の大きさを考慮すれば、記事のこの部分は当然ボツにすべきだったと考えています。
焚き火は「こそこそ隠れて」、「痕跡を残さぬように」、「遠慮がちに」行う“日陰者”で良いんじゃぁないでしょうか?少なくても私はそう思っています。

以前、山のルール(?)は変遷すると述べましたが、戦前では森林限界を超えた場所でも登山者が焚き火で煮炊きすることは常識でした。旧制高校時代の先輩の話を伺うと今の常識に照らせば、当時はずいぶん無茶な事をしていたようです。

しかし、時は流れ昨今は中高年登山ブームの影響もあってか、日本百名山は言うに及ばず全国の美しく興味深い山域は慢性的オーバーユース状態ですし、混雑を嫌った登山者は、いきおいマイナーで人の居ない山域にまで足を広げるようになっています。
したがって、現代においては、少なくても環境へのインパクトの大きい林間や植生のある場所場所での焚き火は基本的にルール違反と考えるのが妥当だと思うのです。

こんな事は言いたくないのですが・・・、若い時に山岳会や大学の山岳部等で山のベテランとの山行を通じて、技術のみでなく精神的な部分までを体系的に学んだ中高年の方は問題無いのですが、中高年になってから突然登山を始められた方の中には、残念ながら山の中で、若い人よりも傍若無人な振る舞いをする方も多いようです。(まあ、若い方でもローインパクトに関心の無い場合は同じかもしれませんが・・・)
閑と金に物を言わせて結構なバリエーションルートをこなす程の年配者(別名をプロガイドの金ズル?とも言います)の中にさえ、私の目から見ても非常識だな、と感じる方が少なくありません。

バナナの皮を谷に放り投げるなどまだマシなほうで、コンクリートの土間とはいえ避難小屋の中までアイゼンで入り込んだり、酷い例では雪で半分埋まった山小屋のトタン屋根の上までアイゼンのまま歩いていって写真を撮っていた中高年の方も実際に目撃しています。

また、渓の中でも、岩魚の大量虐殺にしか興味を持たない源流釣り集団のあまりにも酷い野営の痕跡を目にすると怒りさえこみ上がってきます。(「自分を棚に上げて」と言われるかな・・・?)
彼らも話すと楽しい同年代のオッサン達で悪人には見えないんですが・・・。

山のルール以前に“いい大人”なのに自分の行為がどのような結果をもたらすか、という常識的な想像力すら働かないのでしょうか?・・・それとも、年齢を重ねていても、「面倒だから、誰も見ていないから(見ていても?)、楽しいから、楽だから・・・」、を常識よりも優先させてしまうのでしょうか?

私自身は“山登り”が本来的に自由なものであるべきだと考えていますし、個が「束縛からの解放」や「欲望の充足」を求める事自体を否定するものではありません。
しかし、かと言って、自らを束縛から解き放ち、欲望を満たすことだけが本当の“自由”を手に入れる途だとも私は考えません。
私は、「“自分の欲望”(本能?)に正直な行為」と、「“自分”(理性)に正直な行為」とではたぶん正反対の結果をもたらすと考えています。


これが私たちの大好きな“山”という遊び場を共有する人達の多様性の現実なのです・・・。
雑誌が焚き火の楽しさをを紹介すれば、何処ででも誰にでも許されるのかと勘違いした誰かが何処かで真似をし、私が「焚き火は楽しい」と書けば別の誰かが何処かで真似をします。
そして、その焚き火の跡を見た誰かが何処かで真似て焚き火をし、其処で楽しさを味わった登山者はまた別のところで焚き火をする・・・。

高速道路入り口付近の緑地帯に散乱する大量のゴミだって、最初の誰かがゴミを捨てなければ別の景色になっていたかもしれません・・・。

 ・・・これは明らかに悪循環の連鎖反応を引き起こしそうです、そうなったら私も少なからず良心の呵責を感じざるを得ませんし、下手をすると私も大好きな焚き火を自粛せざるを得なくなりそうですから・・・。

さて、小うるさい大人にはなりたくないと思っていた私が、先輩気取りで説教臭い『雑音』を述べていたら、いささか気分が悪くなりましたので、口直しに、私の好きな詩を紹介します。

なんでもない詩ですが、山の中で寝ころんでいると不思議とこの詩を思い出します。
そして、何だか“自然”にあたたかく抱きとられているような幸せと感謝を感じ、涙が溢れるのです。
皆がこんな感覚を持ってくれたら、山はもっと楽しいところになるんでしょうね。

「お日ひさん、雨さん」 金子みすゞ

ほこりのついた
しば草を
雨さんあらって
くれました。

あらってぬれた
しば草を
お日さんほして
くれました。

こうしてわたしが
ねころんで
空をみるのに
よいように。

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