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2009年1月26日 (月)

3アンテナ・ビーコンは買いか?(PULSE-Barryvox レビュー②)

便利度 :★★★★★
工作度 :☆☆☆☆☆
推薦度 :★★★★★
危険度 :☆☆☆☆☆
(少し高価なのが欠点といえば欠点)


まずはビーコンを1対1で探索してみました。
発信状態にしたPULSE-Barryvoxをビニール袋に入れてグランドに放置し、別のPULSE-Barryvoxで探索してみました。

Bs1  Bs2

デジタル探索可能な距離まで近づくと方向を示す矢印と距離が(画像↑)表示されるので、矢印が正面なるように方向を変えながら進んで行くだけで被探索機まで誘導してくれました。
オルトオックスのM1だと本体を左右にゆっくり振りながら発信音と距離表示を目安に進行方向を判断しなければなりませんでしたが、“PULSE-Barryvox”でしたら表示の矢印がダイレクトに探査方向を示してくれるのでそれにしたがって前進すれば自然に被探索機まで誘導してくれます。

Bs3  Bs4

そして至近距離まで近づくと自動的にクロス探索表示(画像↑)に切り替わり、誤差も10センチ単位といっても良い程の精度で探査できるのです。
「初めてビーコンを使う人でも、数分でピンポイント探索が可能」と言うのもまんざら嘘でもなさそうです。

できたら活躍してもらいたくない道具ですが、いざという時には頼りになりそうな最強のビーコンと言っても過言ではないと思います。

しかし、これ位だったらどんなビーコンだって可能なことです。
次にこのビーコンの売りの一つである複数探索機能をテストすることにしました。
少々過酷かもしれませんが、1対4でどこまで順調に探索できるでしょうか?

(以下、次回に続く)


(余談ですが・・・)

最近「本当に山は危険か・・・?」という画期的(?)な問題提起(?)に対する反響が、一部のウェブ上を喧しく駆け巡りました。
しかしそれも、ようやく一段落したようなので、本件に関しての私の考えを、難しい言葉を使わずにお話したいと思います。

私自身、年齢が年齢ですから山との関わり方の基本も1世代前のスタイルでしか学んでいません。つまり、今風に言えば「旧態依然」とした「古い考え」の持ち主かもしれませんし、ここ十数年は他人に自慢できるような本格的な登山らしい登山もしていませんので、大きな口は利けないのですが、これからどのようなスタイルにせよ山の世界に足を踏み入れる若い皆さんが、安全に永く山と付き合って楽しめるように、敢えて私の経験を述べさせていただくことにしました。

以前、ある天才エクストリームボ-ダーはその過激な滑りについて是非を問われた時「道路を歩いてたって、死ぬやつは死ぬ・・・」と返答していました。カッコイイですね!
確かに、街に居たって山に居たって何がしかの事故に遭遇する可能性は双方にありますから、どちらが危険とは一概に言えないのは事実です。

しかし、現実に私は常に「山は危険だ!」と考えて山に入っていますし、特にビギナーの方々には、謙虚にこう考えてもらいたいと思っています。
この件について、確率だとか変数だとか小難しい戯論に終始しても、かえって問題の本質から遠ざかるような気がしますので、私が自らの「経験」から、こう考えるに至った理由を、一例として挙げておきます。

恥ずかしながら、私は現在スキーで骨折し治療中です。幸いにもゲレンデ内でしたのですぐに搬送されましたが、これがソロのBCツアーで携帯もトランシーバーも使用不能な場所だったとしたら五分五分以上で遭難死だったでしょう。
また、以前、山でアキレス腱を断裂したことがありますが、その時はパートナーがいましたし、プラブーツの紐をしっかり締め上てからテーピングして足首を固定し、激痛と戦いながらも這うようにして辛うじて下山することができました。(私はこの時の「経験」から山には必ず2Mバンドのトランシーバーを持参することにしました)
しかし、今回の骨折がその時に起こっていたら状況は全く異なったシビアなものになっていたでしょう。
全く動けなくなった私の命が危険なのは当然として、天候が悪化したら、私を収容するために雪洞を掘った後、疲れた体で救援を求めに下山するパートナーの命さえも危険にさらす事になったと思います。
アイゼンの引掛け等による足首の捻挫などのよくある怪我が予想外の結果を招いた例は、私の周囲にも結構ありますから油断はできません。

つまり、山と街の違いは、事故に遭っても直ぐに救援されるであろう市街地と異なり、山の事故(特に積雪期で単独)では、街では何でも無い怪我であったとしても、歩行不能になった時点で命を落とす確立が急激に上昇し、救援が無ければ厳冬期だったらおそらく3~4日で確実に絶命するということです。
私は、私の「経験」から、この点だけ考えても「山は街より危険だ・・・」って言って良いと思っているのですが・・・。
街では許されるなんでもない失敗も、山では命に関わるわけですから、山の危険さは、事故に遭う確立・・・云々といった頭の中や机の上で計算した相対的な危険度とは別の位相で考えなくてはならない・・・と私は考えます。

そして、私の場合は山の「経験」を積めば積むほど、山が危険だと思うようになりました。

例えば、経験の浅い方は「GPSがあれば道に迷わない」と思うかもしれませんが、決してそんなことはありません。傾斜のある場所での道迷いは、GPSが目的地の位置を指し示したとしても、崖や崩壊地あるいは蜜藪などで進みたい方向に進めないことも多いし、何よりそのような緊急時には僅かな距離をラッセルや藪漕ぎで登り返す気力や体力すら残っていな場合だって多いのです。これも本格的に(?)迷った「経験」が無いとその恐ろしさは理解できないかも知れません。

また、冬の稜線でテントフレームが折れるような強風に遭遇したとしても、テントの幕体に包まって一夜を過ごせば何とかなる・・・とお考えの方がいたとしたらそれは大きな間違いです。このような状況は8割がた遭難と同義です。朝まで体力と気力が持てば何とかなるかもしれませんが、翌日も終日同じ状況ならまずアウトでしょう。
こんな状況になる前にどのように行動したら良いかという判断力も、耐風姿勢をとったまま10分以上一歩も動けないような極限状態を「経験」し、自然の前には己の力など無に等しいという謙虚な気持ちを身をもって知る以外には体得できないでしょう。

天気の判断にしたって、理屈では判っていながら「擬似好天」に騙されて行動を開始し酷い目に遭うという、山の定石を生かせなかった苦い「経験」を何度か繰り返すことによって、やっとこの簡単な理屈が体で理解できるというのが現実の山の世界なのです。

また、ピッケルを持っていても滑落停止技術が無ければ、持つ意味は半分無いのと同じといわれますが、これらの技術も「経験」から身に付ける以外にありません。
私は所謂「旧態依然とした」大学山岳部新人のころこれらの技術を先輩から教え込まれました。当時は、冬山訓練合宿というのが11月末の富士山で行われるのが恒例で、最初は吉田大沢の下部でアイゼン歩行や滑落停止の練習をしますが、合宿最後には頂上火口内の青氷の上であらゆるパターンの滑落停止、ロープを使ったコンテやタイトロープ歩行などをやらされ、体中アザだらけになりながら体力の限界までしごかれました。(そしてその帰路には8合目でビバーク訓練と称して十数時間もの辛い時間を過ごさなければならないというおまけ付でした。)

まあ、こんなに苦労しても結局、唯一判ったことは「危ないところで滑ったら一巻の終わりだ・・・」という現実だけなのかもしれませんから、現代風に言えば「古い精神主義的な非効率的トレーニング」だったのかもしれません。しかし、こんな簡単な気付きも私にとっては「経験」からしか理解できなかった貴重な財産だと思っています。

「経験」の質と量は決して遭難する確立と反比例はしないかも知れませんが、だからと言って私は「経験」の蓄積が安全登山に寄与しないとは考えていません。
何故なら、私たちは経験と知識を有機的に組み合わせてこそ、リアルなイメージでとしての未来予測が可能となり、変化しいく状況を経験に照らしてより正確に読み取ることができれば、より適切な対応が可能になると考えるからです。
本で読んだり耳で聞いた知識だけでは、いくら蓄積し結合させることができたとしても、それはゲームの画面の様な薄っぺらな仮想現実としてのイメージしか形成しないでしょう。対応すべき状況、適応すべき未来がそんないい加減なイメージでしか把握できない事、それこそがまさに危険な状況への第一歩なのです。

また、「山の常識」の中には、確かに眉唾的なモノや時代の変化に合わない古い常識が含まれているとは思います。
常識を疑う事も大切な心の在り方だとは思いますが、それら「山の常識」の多くは山の先人の、失敗も含めた膨大な「経験」が集積され、時間というフィルターを通過し得たからこそ現代に伝えられているモノには違いないのですから、まずは敬意を払うべきだと・・・、「旧態依然」とした「古い考え」の持ち主である私は考えています。

私はかつて、無理して買った当時流行だった高価なフランスのG社の皮製の柔らか目のクライミングブーツを履き、冬の岩攀りをしましたが(当時はワンタッチアイゼンなど一般的ではありませんでした)アイゼンバンドをガッチリ締めたら1日で寒さと血行障害で爪先をやられてしまいました。まあたいした事は無かったのですが、その後2~3ヶ月は足先の感覚が戻らず結構落ち込みました。(当然それ以後その靴は冬には使わないことにしました・・・)
ワンタッチアイゼンが一般化した現在ではそうとも言い切れませんが、「冬山では冬用の硬めの登山靴を履く」という常識(?)もこんな理由によるものなのでしょう。
条件さえよければどんな足拵えでも大体は大丈夫なのでしょうし、新しい可能性にチャレンジする精神は否定したくありませんが、いざと言う時に指を無くすか無くさないかという大きなリスクを相棒にして人体実験をするより、同時並行で山の先人の知恵を素直に信じ硬い登山靴で行動してみるのも賢明な検証の方法だと思います。
まあ、いくら防寒性があってもバニーブーツのようなタイプの靴も登山向きではありませんが・・・。

さて、きりが無いのでこの辺で終わりにしますが・・・、冒頭に挙げた天才エクストリームスノーボーダーは、街でなく山で雪崩で亡くなり本当の伝説になりました。
スノーボードという遊びにストイックに人生を捧げ、常に修練に励み、豊富な経験を積み重ねた彼でも牙を剥いた自然の前には為す術も無かったのでしょう。
そして、彼は私たちに次のような言葉を残しました。

『僕らは自然そのものであり、本来は自然の枠の中にあるものだが、あたかも自然と闘うように自らの暮らしをつくりあげてしまった。僕らは何と言うか、宇宙のあり方に歯向かっているんだ・・・』(クレッグ・ケリー)

これが彼の自然に対する原罪意識にも通ずる謙虚な姿勢だったんでしょう、カッコイイですね! 
私たちも、自然に対し常に彼のような謙虚さを持って臨み、方法や自己主張の仕方や見解の相違でいがみ合うのではなく、同じ山の仲間として仲良く遊び場を共有したいですね。

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コメント

この記事を読ませて頂き
去年の、4月末にARAI氏が単独山スキー行で遭難死した
ニュースを思い出しました。転倒が直接の死亡原因なのか、どうか判りません。
想像するだけですが骨折などの原因で行動できなくなり、凍死に至ったのかもしれません。

街とは全く違う世界であることは間違いないようです。

最後になりましたが、ケガの回復を願っております

投稿: JSB | 2009年2月19日 (木) 01時43分

JSBさん、ご激励ありがとうございます。
年齢のせいか怪我の治りは遅いようですが、少しづつは快方に向かっているようです。
とは言え、自業自得ではありますが、冬・春のシーズンを無為に過ごすのは無念の一語に尽きます。
その上、工作や道具弄りもままならず、己の現状に忸怩たる思いを抱きつつ日々を送っています。

まあ、安全な登山など無いかもしれませんが、それでも安全第一で自然に親しみたいものですね。
では

投稿: 理事長 | 2009年2月19日 (木) 09時43分

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