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2011年7月 9日 (土)

春山必携!ノーズシェードを作る

便利度 :★★★★★
工作度 :★☆☆☆☆
推薦度 :★★★★★
危険度 :☆☆☆☆☆


※今回は“ノーズシェード”・・・、早い話が「鼻カバー」(画像↓)です。

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厳冬期のディープパウダーも楽しいですが、春の陽を浴び軽装備でコーンスノーを蹴散らして滑る残雪期の山スキーもまた最高に楽しいですよね。(・・・というか、ザラメ雪だと私みたいなヘッポコスキーヤーの技術でもなんとか誤魔化せちゃいますからね)

しかし・・・、春の日差しは思いのほか強く、、“もち肌”(笑)の私としては、十分注意をしているつもりでも、調子に乗って油断していると雪焼けで酷い顔になり、翌日の職場で顰蹙をかうこともしばしばでした。

これを防ぐには汗で流れてしまう日焼け止めに加え、ノーズシェード(ノーズカバー)を併用して鼻の頭を物理的に太陽光線から遮断してしまうのが簡単・確実です。

以前は“JULBO”などのヨーロッパ製の山用サングラスには皮製のノーズガードが付属している物も多かったのですが最近は山道具屋でもあまり見なくなりました。
最近の物では、“アディダスTERREX-PRO”にセットされる樹脂製のノーズカバーはかなりシッカリしていて風雪に対する保護効果も高そうですが、外人さんの鼻の高さに合わせたのかやや大袈裟ですし、価格も結構します。

さて、昔の話ですが、私は普段使っている眼鏡に付けるノーズガードを買おうと山道具屋に行ってみたのですが、そこには皮製のスナップ留めの物一種類しか無く、それもあまり気に入らなかったので、自分でノーズガードを作ることにしたのです。

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(普通の眼鏡にも取り付け可能)

以来、何個か自作しましたが、はじめは皮の端切れやVHSテープのポリプロピレン製ケースを廃物利用して作ったこともありましたが、最近は“カイデックス”(画像↓)という熱可塑性プラスチックの板を使って自作しています。

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(耐衝撃性が高いのでラジコンカーのバンパー用として売られている1mm厚の“カイデックス板”)

作り方は画像をご覧になれば一目瞭然だと思います。

カイデックス板がよく使われるのはナイフのシース(鞘)用としてなので、ナイフメーキング用品を扱っている店の通販でも購入ができると思いますが、カイデックス板はまたラジコンカー用パーツとして模型店等で10cm×30cm×位の大きさで小口売りしていますので、ノーズシェードを作るくらいでしたらこちらのほうが無駄が無いかと思います。

この素材は、鋸や大型の鋏で自由にカットでき、ヤスリで仕上げられますから加工も容易ですし、加熱にはヒートガン以外にも、オーブントースターや熱湯等が使用でき、軟らかいうちに形を整えればかなり自由度の高い成型が可能です。

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(100℃以前で軟化して3次元的な成型もできます)

取り付ける方法は、お使いの眼鏡やサングラスに合わせ工夫する必要があるでしょうが、私は上端に細いベルクロを手縫いで取り付けて眼鏡に固定するようにしました。

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(カイデックスに下穴を開けてからベルクロを縫い付けた)

春スキーで、鼻の頭の日焼けを何とかしたいと考えている方には是非試してもらいたい工作だと思います。
また日焼け対策以外にも、厳冬期に防風・防寒の目的で使用すればバラクラバ(目出帽)の出番を少なくする事もできるでしょう。

外見はギャグ漫画のようで笑われるかも知れませんが、効果は抜群ですよ!




【余談ですが・・・】

もう一度行ってみたい・・・、と思う場所はたくさんあるが、哀しいかなその多くは現在の私の体力や技術ではたぶん辿り着けそうもない山奥だ。

しかし、単に「行きたいのだが、行き難い」場所だったら、プロガイドさんにでもお願いして引っ張って行ってもらえば「行ける」場所にする事も可能なのだろうが、「行きたいが、もう存在しない」場所だと、これはもう諦める他は無い。

そんな「行きたいが、もう存在しない・・・」場所として、私が真っ先に思い浮かべるのが『叶後(かのううしろ・かのうじろ)』の廃村である。

“そこ”を最初に訪れたのは昭和40年代初頭だっただろうか?、初めてあの不思議な空間に足を踏み入れた時の驚きは今でも鮮明だ。

山道を下っていくと突然に視界が開け、すり鉢のような内陸斜面の底に小広い草原が広がり、中央を流れる小川の畔には畑作の痕跡があり、東側の高みには風情のある萱葺きの民家が・・・、という長閑な山里の光景が唐突に目に飛び込んでくる。
しかし、ここは麓の里ではない、近い集落から歩いても何時間か掛かる山の上である、何でこんな所に開けた平地があり、何故こんな所に人が住み、どうやってこんな所まで材木を運んで家を建てたんだろう・・・。
同行者はガイドブックか何かでその存在を知っていたようだが、予備知識の無かった私は全く予想もしない光景に些か思考が混乱した。

そして、この情景をさらに現実離れしたモノにしているのがその背景である。
背後には100メートルを越す断崖絶壁が聳え立ち、しかもその絶壁の中央には、鋭利な刃物で縦に切り込んだような、狭いところでは幅数メートルほどの一筋の岩の裂け目が走っている。
後にこの岩の割れ目が『牢口』と呼ばれていると聞いたが、まさに名前そのままの不気味さを持つ奇観中の奇観である。
長閑な山里の風景と、その背景の凄まじさ・・・、このアンバランスさが『叶後』の印象をさらに強烈なものにしているのだろう。

写真が無いのが残念だが、知らぬ人が初めてこの風景の写真を見たら、きっと映画の宣伝にでも使われたCG合成だと思い、実写だといっても絶対に信じてもらえないだろう。
まさに、絵に描いたような「隠れ里」の風景である。
郷土史を調べれば、たぶん興味深い言い伝えの類も数知れないはずだ。

さて、この『叶後』という場所はいったい何処に在ったのか、というと・・・。
現在では本チャンに近いマルチピッチの練習のできる貴重なクライミング・ゲレンデである西上州の二子山の西、魚尾峠から、ビルディングフェースで名高かった叶山方面に暫く歩いた場所である。(画像↓)
以前は二子山から叶後を経由して魚尾に抜ける山道があったが今では地形図からも消滅している。

Kanouusiro_2  Kanouusiro2
(ほぼ中央が『叶後』だった場所 ※カシミール3Dで山旅クラブの地図を表示)

二子山も昭和50年前後からクライマーで賑わうようになり、さらに股峠の裏側の林道から入山するルートが知られてからは結構人気のゲレンデになったが、当時は一部のクライマーにしか登られておらず、一般コースを含め訪れる登山者も少なく、山も静かだった。

『叶後』も私が最初に訪れた昭和40年代初頭には既に廃村で、萱葺き民家とトタン張りの掘っ立て小屋しか残っていなかったが、廃屋の中には布団や鍋釜・茶碗など生活の匂いが感じられ、周囲には畑作の痕跡も見られたから、おそらく戦後も暫くはここで耕作をして暮らしを立てていた人がいたのだろうと思われる。

その後、再びここを訪れたのはそれから暫く後で、あの『牢口』の割れ目の中はどうなっているのだろうと、神流川側から沢を詰めルンゼを登攀した時だった。

『牢口ルンゼ』の中はといえば・・・、この奥数百メートルにあの桃源郷が存在すると知ってはいても素直には信じられない気がしてくる不思議な空間だった。
まさに奇奇怪怪な景観で、沢床は広いのに頭上の極端に狭まった徳利の断面のような地形があったり、スリットのように狭い沢幅いっぱいに巨大なチョックストーンが挟まっていたり、まるで映画インディージョーンズさながらの世界を、ショルダーやアブミで越えたり、岩の間を潜ったりして前進したのを覚えている。

西上州は奇景・奇観の宝庫だし、山上の意外な場所に人の営みの痕跡が多く残っている土地柄ではあるが、この『叶後』は総てにおいて別格の不思議な空間だった。

その後、もう一度・・・、もう一度・・・、とは思っていたのだが・・・。

しかし・・・、現在“そこ”へはもう行くことができないし、行けたにしても、もうあの夢のような風景は既に存在しないのである。

その理由は、秩父セメントが巨大な石灰岩の円柱である叶山に目を付け、採掘を始めたからだ。
しかも、周囲の景観に配慮?したのだろうか、武甲山の様に露天彫りで側面から削ってしまう方法は採らず、叶山の山体に螺旋状のトンネルを掘って地下から機材や重機を頂上まで運搬し、上から削ぎ落とすように石灰岩を採掘するという手の込んだ採掘法を採ったのである。

そんな訳で、現在叶山頂上の麓から見えない所では何台もの巨大重機が呻りを上げ、この付近の地下にはトンネルが縦横に走り、数十キロにも及ぶといわれる長大な地下ベルトコンベアーは日々絶える事無く大量の石灰岩を下界まで流し続け・・・、結局、それが私達の街を造っているということだ。
その代わりに、叶山は上部から輪切りにされるようにテーブル状に削られ、何十年か後にはこの地上から姿を消してしまうのだろう。

気になってグーグルアースを開いたら(画像↓)叶山は想像以上に酷い状態になっていた。
山頂を覆っていた豊かな樹林の帽子は既に跡形も無く、画像からも乾いた石灰岩の台地が広がっているのがよく分かる。
しかし、これも幸か不幸か麓からは見えないのだ。

Gekanousann  Gekanouusiro
(画像中央が『叶後』だった!所、その左の白い部分が削られた叶山)

そして、そんな景観に配慮した隠密採掘をする上でも、下界からは見えない山中の隠れ里『叶後』はその前進基地としても好都合だったのだろう。

現在は採掘とベルトコンベアー搬送の中継地として利用されているというから、グーグルアースで眺められるように人工の構造物と瓦礫に埋め尽くされ、あの夢に見るような景観は既に跡形も無いようだ。

怖い物見たさでもう一度行ってもみたい気もするが、秩父セメントの私有地に不法侵入するのも気が引けるし、行ったとしてもあまりの変貌に涙するのがオチだろう。

やはり、“ここ”は古きよき時代の思い出として、心の奥に仕舞って置く場所なのかもしれない。
それとも、いっその事「あれは夢だったんだ・・・」と、忘れてしまったほうが幸せなのだろうか。

(追記)
カシバードで現在の地形図から「叶後」の俯瞰図を作ってみました。
これで、この場所がどんな地形なのか私の拙い文章よりずっとイメージしやすいでしょう。
中央やや左の「家」のアイコンが在る所が「叶後」だった場所ですが、ここが四方を山に囲まれたまさしく山上の隠れ里だったことがお解かりになると思います。
また、実際の牢口は画像よりずっと狭まった、岩壁の割れ目といった感じでした。

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※ しかし、存在しないと言うと、写真でもいいからもう一度見たくなるのが人情ですよね。
誰かあの当時の資料など持っていないでしょうか?

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